クッキーを焼くとき。
大きな生地からポコッと押し出す「型」ってありますよね。
頭で考えて苦しんでるときって⋯⋯
耳たぶみたいなふわふわ生地を、ビヨーンと薄く伸ばして、クッキーの「型」でポコっと外に押し出すみたいに、
極限まで伸ばされた薄くて小さな「わたし」型クッキーの、狭い範囲の中で苦しんでるような感じがします。
とってもしんどいんです。
「全ての責任をのせて、それゆけ、わたし!」
とでも言いながら、
外へ放り出されたみたい。
その「型」とは
自分はこんな性格で、
こんな過去(経験)があって⋯⋯
という過去の経験・常識・データを積み重ねて作った、
「わたし」物語のクッキーです。
つまり、
思考で作った「型」です。
「型」の原形は、親や社会の声も大きく影響しています。
幼稚園や学校、社会に出てからも、
どこか「こうあるべき」という社会が望むモデルの「型」があって、
それに沿うように、
似たような「型」ばかりが大量生産されてるような⋯⋯
そんな感じがします。
それって、なんだか不自然ですよね。
みんな凸凹でいいはずなのに、
外見はきれいに揃った同じようなクッキーばかり⋯⋯
大量生産するには効率が良くて便利だけど。
みんな同じ形のクッキーしかない世界って、
全っ然おもしろくない♡
ですよね。
「わたし」物語の主人公は自分です。
スーパースターの人生も、パッとしない人生も、借金まみれの人生も、生きてるただそれだけで、すんっばらしい奇跡の人生で、いつでも主人公は自分。
もし前世や来世があったとしても、このからだ、この命で生きる今回の人生は、たった一度きりだ。
私はもしかしたら、
親や社会など、脇役の「誰か」の声を無意識に
(自分で決めて選んだと思い込みながら)
そのまま採用して、
社会のモデル型からはみ出ないように、
無難な、それっぽい「わたし」型を
作りあげてたのかもしれない⋯⋯。
どこか窮屈に感じていた
「わたし」という制限を外していって、
もっと自由に、生きていい♡
そう思うと、
縛られていたものから解放されて、
物語に浸かりきっていた頃の自分も含めて、
丸ごとの自分が愛おしい。
まるで「わたし」物語の主題歌が一新して変わったような、そんな気がしてきたのです。
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