ありのままに生きること

【意識変容】探求日記


昨日の記事で↓


「自分を愛する」とは

おなかの声を聴くこと
ありのままでいること


だと書きました。





おなかの声を聴くとは、

からだ(中心の親玉はおなか辺りにあり、日によって部位は様々)に意識を巡らせ、そこにあるものを、ただそのままに感じること。

「気持ちいい~」
「大好き~」
「生まれてきてよかった~」

こんな、細胞たちのふにゃふにゃポカポカした声が感じられます。





時々、過去の辛かった感情やモヤっとしたものが、湧き上がる時もあります。



その時は、
それをただそのままに漂わせ、見つめ、感じます。


言葉にするとしたら
ふむふむ、ほぇ~、ほぉ~、そっかそっか~。

そんな感じで、ただ見ています。



妊婦さんが、両手をお腹に優しく置いて、微笑みながら命を見つめているような、そんなイメージにも似ている気がします。


(もちろん、パパが子どもを愛しそうに両手で優しく抱くようにも。)






そのようにして、ただ、おなかを感じる。


ジャッジしないで、ただ起こるまま、そのまんまに。





ありのままに生きるって、
こういうことなのかなと今の私はそう思っています。




おなかの声を聞く
=「ありのままでいること」「自分を愛すること」

と同義だと感じるのです。




からだに意識を置いていると、
見過ごしてしまいそうな小さな感覚ですが、

時々「きゅっ」と力が入っているのを感じたりすることがあります。



これも見逃さずに、そのまま感じることが大事です。




からだのどこに力が入っているかに、ただ気づくのです。





最近こんなことがありました。

夫と一緒に韓国ドラマを見ていたときのこと。

ドラマの中で、教師から「連帯責任だ!」と言われ叩かれる生徒(本人は何もしていないが仲間の失敗の責任を取らされた)を見て、夫が「うぅ…」と胸を押さえていました。

ちくっと胸が痛くなったそうですが、私はそのシーンには何も感じませんでした。

逆に私は、高校生の女の子が親から「うちはお金がないのだから」と怒鳴られているシーンに、きゅっと胃の下の辺りに力が入ったのを感じました。

夫はそこには何も感じなかったそうです。





当たり前ですが、
同じドラマを見ても感じることは人それぞれ、痛くなるポイントも本当に違うんですよね。






思考によって塗り固めてきた「わたし=○○」という思い込み
良い悪いの判断(~ねばならない、~べきだ)

などによって、
これは受け入れない!
と判断したものへの抵抗が「きゅっ」に繋がっているのです。






上記の韓国ドラマの例でいうと、

責任をとらねばならない
お金がないと不幸
こんな親は失格だ
許せない


など。



もしも
「こんなことあってはならない」
「許せない」
といった思考があらわれたときは…

まず、判断をしていることに気づく。




そして、からだの「きゅっ」と力が入っている部分に意識の光をあてます。

そうしていると、自然と「きゅっ」がゆるんでくるのがわかります。




これが、「自分を愛すること」なんです。

あなたのおなかの中にある小さな粒のような感情たちを、一つ一つ、丁寧に、意識の光で撫でてあげるように、照らしてあげること。

それが「自分を愛すること」の本当の意味です。






どんな感情であっても、感じちゃいけない感情はない。


どんなおなかの声も、ありのままに感じてあげる。









現実の出来事に限らず、ドラマやニュースなど、自分が感知することすべてに対して。

自分の内側でどんな反応が起こっているのかをよーく観察して、気づいていること。



怖がらずに、ありのままに、おなかの声を聴こう♡

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