小さい頃、おなかに住んでいた神さまが、ある日突然いなくなった。
「神さまって、どこにいるのかな?」
と親に聞いてみたことがある。
どうやら神社やお寺にいるらしい、という返答だった。
でもでも、
八百万の神?
お米の中にもいる?
外国じゃ違う?
神話では喧嘩をする神さまもいる?
調べれば調べるほど、結局よく分からなくなった。
それでも困った時は神社でお願いをした。
叶わなかったら
「なーんだ、やっぱり神さまなんていないんだ。」
なんて言ったりもした。
でもね。
気づいたら、いたんです!
ここに、いた。
「おう。よう来たな。」
そう言いながら
ニコニコしながら目の前に立っていた。
ずっとここで、待っていてくれたんだ。
待ち合わせ場所は
いま、ここ。
小さい頃の
「おなかの中に住んでいる」
という感覚とはまた違ったものだった。
これだったのか。
離れてなんて、なかったんだ。
ものすごく目の前に薄い柔らかなカーテンがあって、
でも目の前すぎて、カーテンがあることにも気づいてなかった。
そのカーテンを、ただ、サーッと開くだけだった。
会うといっても⋯⋯
それは境目なく細胞や空気やすべてに満ちていて。
既にもう、ずっとその中にいた。
小さい頃の記憶では、
おなかにある光の珠を神さまと呼んでいた。
でも、今の感覚では、その中に自分がいる感じ。
表現としておかしい気もするけど⋯⋯
でも、こう感じるんだから仕方ない。
開き直っちゃいます。
一番大切なことは
そのカーテンを開くと
「愛されているんだ。自分のことが大好きだ。」
という揺らぐことのない安心感が、半端なく溢れてくるってこと。
ダメダメな自分でも、
外側でどんなことが起きていても、
愛されている。
それとイコールで、
自分は自分を愛している。
大好き。
あぁ、私が大好きだ。
生きていることが嬉しいな。
刺激的な気持ちよさというより、
すごく穏やかで静かな気持ちよさ。
唐揚げの「ガツン!」とした美味しさというより、
お味噌汁の出汁の「ほっ」とする懐かしい感じの幸せ。
もぉ~、いるなら言ってよ〜、神さま!
ずーっと探してたやん!
小さい頃のようにポンポン答えが返っては来ないけど、
にこにこ笑っていることはわかりました。
それから、なんというか⋯⋯
目に映ること、聞こえるもの、感じるもの、自分の内側で起きている、この世界すべてが、神さまからの挨拶のように思えるんです。
そこに、頭でこねくり回して考えた後付けの意味とかはない。
与えられる1秒1秒が、素敵な、歓びに溢れた嬉しい挨拶。
そんな風に感じるんです。
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