思考を超えた次元とは。

【意識変容】探求日記




何か問題が起こると、
頭の中は「こりゃ困ったぞ~!」と叫び出す。

えーらいこっちゃ♪ 
えーらいこっちゃ♪


とお祭り騒ぎ。




解決策や原因を頭でグルグル考えても、答えは出ない。

どうしたら良いのかわからなくて、苦しいときってありますよね。





私はそんなとき「頭で考える」ことを一旦やめてみます。








思考への過信をやめて、「わからない」と認めて、手放してみる。

そうすると、不思議なことに、私にとって嬉しい展開が、全く予想していなかった方向から起こり始めるんです。






「わからないまま放っておいて、頭で考えるのをやめてみよう」


そんなこと言われても、
きっと頭では納得できないし「???」ですよね。



最初は、何もしないなんて怖くて、居心地が悪い。
現実逃避では?って感じもしますよね。


でも「そんなバカな~」と思うようなことに、全力で乗っかって実験してみるのが大好きなんです、私。



繰り返しやっていると、「わからない」状態でいることが、なんだか気持ちよくなってきたんです。







アルベルト・アインシュタインの言葉で

「いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で解決することはできない」

というものがあります。





アインシュタインは、問題が発生したのとは違う次元じゃないと解決できないと言っています。

私たちが「どうしたらいいんだ!」と苦しんでいるときって、
頭で「考える」しか方法はないと思っている次元です。




考えないと進まない! 考え続けろ! 

そう社会から言われて生きてきたので、
考えないことって、めっちゃ怖いんですよね。





じゃあ、「考える」のと違う次元って、何だろう。

何だろう、と考えてしまっては、また同じ次元にハマってしまう……







そうだ。
思考って「ほんとうの自分」じゃないんだった。


よし!
思考=「考える」を、脱ぎ去ってみよう。


超能力が使えるわけでも、
宇宙存在からのビジョンを受け取れるわけでもない、そんな私には

「考える」を脱ぎ去ると、
からだの五感だけが残るように感じました。




手に触れるものの感触
目に映る部屋の風景
椅子に座るおしりの感覚
床に触れる足裏の感覚


いつもの日常の、当たり前の、なんてことないようなこと。



それだけが、ただそのまんまに、あった。





でもまたすぐに、考えが湧いてきます。

「もうすぐ〇〇の時間だな」
「明日までに△△しといた方が良いかな」
「あ、あんなとこに汚れがあるぞ」

それもまた、脱ぐ。




記憶と共に感情も湧いてきたりします。

「もしまた失敗したら、〇〇さんに怒られるかも。あの時もバカにされた。やなやつ。やっぱり許せない。」

ジュクジュクと胃のあたりが疼きだす。







いや待て待て。

感情も、思考から生まれているんだった。

それも、脱ぐ。




脱ぐ、脱ぐ、脱ぐ……






そうしたら⋯⋯



いま、ここにある、そのまんまの世界に
どすーーーん! 
とくつろいでいる、それだけになった。






私が、私の目で見ている。
と思っていた。


けど、見ようと思わなくても、既に見ていた。




私が、私の耳で聞いている。
と思っていた。


けど、聞こうと思わなくても、既に聞こえていた。





私の目と耳?
鏡の中で見たイメージはある。
でもそれも記憶でしかないぞ……

イメージや記憶も、思考だ。


それも、脱ぐ。




私が考えている。
と思っていた。


けど、考えていることも勝手に起きていた。



ん?
そもそも、今こうやって
「これも思考、あれも思考……」
と言ってるこれ自体、思考そのものだ!


やればやるほどに、
あれもこれも思考だったことに気づく。





え、これも?
わお、これも?

思った以上に脱いでいく。




そして、
脱ぐ脱ぐと言っている、
その脱いでいるのは、一体、誰?



……⋯⋯???

もう、気が遠くなるような、わけの分からなさに突入します。







たしかなのは、やっぱり五感。

五感だけに行きつくんです。





思考やイメージではなくて、からだの五感で「感じる」だけの方。

それが「考える」とは違う次元になるんじゃないか。
と思うのです。



思考を超えた次元。

それって意外とめっちゃシンプルで、すぐそこに、もう既にあったもの。

かもしれない。





いや〜、それがなんとも、「心地いい」のです。

脱げば脱ぐほど、とにかく軽い!


きっとそれだ。

「心地いい」感覚。
それが道しるべになるはず。





頭で考えて悩んでいる時って、ぎゅっと力が入っていて苦しい感じです。



反対に、「考える」を手放して「わからない」を包みこんだままくつろいだ時、力がゆるんで穏やかな心地いい感じがします。





そして、今まで考え続けていたそれがなくなったスペースに残るのは⋯⋯

そのまんまの世界。



それだけがただ、そのまんまにある。


そこに、くつろいでいるだけ。






「わからない」ままで、いい。

「わからない」自分でも、自分は自分を嫌いになるわけじゃない。



そうやって、
からだがゆるむ「心地いい」感じを信頼できたとき。

頭で「考える」次元から、違う次元へのシフトが起こって
小手先の解決ではない、あたらしい問題解決の道が自然と開かれていくのです。




もうそこには、いつのまにか問題なんてなくなっています。







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