小さい頃、神さまがいた。
想像の話じゃなくて、本当にいた。
おなかの中に。
「名前はない、何て呼んでもええで。」
「頭の中には映像が映ってるだけで、ここに住んどる。」
“ここ”とは、私のおなかを指していた。
私はいつからかその存在を「神さま」と呼んでいた。
とっても仲良しで、よく会話をした。
質問にはなんでも教えてくれたし、質問がなくても、おなかまで下りて行ってよくお話をした。
小学生の頃、突然神さまはいなくなった。
「ひとりで頑張るんやで~👍」
と言い残して。
神さまが教えてくれたことは、ほとんど忘れてしまった。
でも唯一覚えている教えがある。
「おなかに聞くんやで。おなかに聞いたら、全部わかる。ひとりになっても大丈夫やからな。」
大きくなった私は、その教えを覚えているようで忘れていた。
おなかの声なんて、聞こえないふりをした。
社会で生きていくには、おなかの声じゃなくて、常識や上司や、社会の声を知り、その期待に応えなければならないと思っていた。
失敗は許されないし、おなかの声に従うなんて、
恥ずかしい、甘えてる、そんな風に思ってた。
大人になるにつれ私は、毎日頭の中が大量のノイズで埋め尽くされていた。
自分でそれに気づかないくらい。
頭の中の独り言、音楽、仮想会話、記憶の回想、ドラマや映画のワンシーン、未来の予測、など。
頭の中にカウンセラーや占い師まで登場させて、相談までしていた。(笑)
そんなものばかりが大音量で、一日中フル回転で流れ続けていた。
脳が刺激(没入するストーリー、音楽、恋愛、甘いケーキ、お酒、旅行etc)を求めていたようにも思う。
足りない足りない!もっともっと!
と、まるで頭の中が空白になることを怖がるように。
おなかの声は聞こえなくなっていった。
聞くことすら忘れていた。
ある時わたしは、頭の中のおしゃべりを止めることした。
シーンと静かで、とっても心地がいい。
豊かだなぁ、呼吸が気持ちいいなぁ。
安心、幸せ、懐かしい、そんな空間を自分の中に見つけることができた。
そのとき、おなかから声が聴こえた。
大好きだよ。わたしはわたしを愛しているし、愛されている。
そのままでいいんだよ。生まれてきて本当に幸せ。
楽しいね。嬉しいね。
おなかの奥底から、その声は、ずーっと響いていたんだ。
そうだ。
神さまの教えをすっかり忘れていた。
頭の中のおしゃべりをストップさせないと、この声は聞こえないみたいだ。
おなかの声を聴け。
静かに、耳を澄まして。
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