目の前に映る「現実」
目の前に映る「私が生きている現象世界」
これは、脳内で映し出されているスクリーンだ。
じゃあ、スクリーンに映像を映し出している元(=実体)とは、一体なんだろう。
よーく観照してみよう。
「生きている」という本質 は、
目で見えているもの
手で触れる感触
聞こえる音
その対象そのものではなくて…
「生きている」という実感
それが実体だ。
それは、思考じゃない。
目で見える、耳で聞こえる、手で触れる、対象でもない。
感情でもない。
それらを脱いだあとに残る、意識。
ただ存在している、ただ在るという、
おなかにあるボワンとした感じ。
それだ。
それのみが本質で、それのみが、存在する実体だ。
意識っていうのは、
「純粋な光」みたいなものと仮定してみる。
心という「場」には、
雲のように浮かんでいる「感情」「信念」などの粒々がある。
意識という光によって、心を通してスクリーンに投影された結果が、我々が「現実」と認識しているもの。
だとすれば、
「現実」を変えたいと足掻いている
(嫌な上司に消えてほしい、借金がなくなってほしい、人に愛されたいetc)
まさにそのとき。
心という「場」には、どんな「感情」「信念」の粒たちがいるだろうか?
だけを見つめてみることが賢明だ。
「現実を変えよう」とすることでは、何も変わらない。
変えたい現実が起きているその時の、投影されている元を見つけ出すこと。
「現実」に目を向けている、その視点を逆方向に向けてみる。
ということだ。
アプローチは様々にある。
あぁ、苦しい感じがあるな。なんか喉に引っかかる感じ。胃がギューってなる。グルグル渦巻いて唸る感じ。
そんな感じを、そのまま感じる。
ただそれだけで、粒たちは光に溶けてゆく。
あぁ、自分で自分にこれはダメと禁止していたな。こうすべきだと決めつけていたな。
そうやって自分が信じていたものに気づくことも、粒たちに変容を起こすことができる。
個人的に、そうだったのか!とビックリしたのは
スクリーンに映るものは、ほんとに、なんでも良いということ。
ほんとに、なんでもいいんだ。
自分が持っている「感情」や「信念」の粒に気づかせるために、それらを呼び起こせるものなら、ありとあらゆる何でもを使って、スクリーン上に引っ張ってくるらしい。
すごい。
ほんとにこの世界はすごい。
奇跡だ。神秘だ。
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