「なにもしない」という選択

【意識変容】探求日記


すんごい今更だけど、
『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎)』
を読んだ。

無農薬栽培でリンゴを育てた話、っていうのは知ってたけど、こんなに素敵な本だったとは…。





絶対に不可能と言われているリンゴの無農薬栽培。

何年もかけて壮絶な試行錯誤を繰り返して、
やっとリンゴの木に花が咲いた時の、木村さんの言葉。



自分がリンゴの木を作っていると思い込んでいた。
自分がリンゴの木を管理しているんだと。

(中略)

人間はどんなに頑張ってもリンゴの花ひとつも咲かせることはできない。
手の先にだって足の先にだって、咲かせられない。

そんなの当たり前だって思うかもしれない。
そう思う人は、そのことの本当の意味を分かっていないのな。

この花を咲かせたのは私ではない。
リンゴの木なんだとな。






植物も人間も、同じなんじゃないかな。

私たち人間も、呼吸にしたって、心臓の鼓動、消化活動、血液が流れること、免疫システム、傷ができたら瘡蓋ができる…etc。
自分でコントロールして、「わたし」が私を操縦して生きているように思っているけど、そうじゃない。

「いのち」が私を生きているのだ。


コントロールしていると、できていると思い込んでいる、「わたし」。

「わたし」って、ほんとに私なのだろうか。






昨日、外を歩いている時。
暑いけど風が当たって気持ちいい。
ふと、自分が透明になったかのような不思議な感覚になった。

「わたし」が歩いているのではなく、歩いて風が当たるということが、ただ起こっている。

「わたし」が気持ちいいと感じているのではなく、気持ちいいという感情が、ただ起こっている。


そんな感覚。







「わたし」がしようとすること。
例えば、問題を解決しようとして考え悩むこと。
(そもそも「問題だ」と捉えること自体も。)

その時に、
「なにもしない」という選択がある。

委ねるということ。

すべて、委ねる。



考えることを、しない。
思考で答えを出さない。
自力で解決するということを手放す。諦める。



これがなんと難しいことか…。



人はすぐに、なにかをしたがる。
というかほぼ自動的に、してしまう。


どれだけ過信しているんだろう、と思う。
自分の思考に。
自分のすることに。



「いのち」に委ねる。
これがこんなにも難しいとは。




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