ほんとうの私とは

【意識変容】探求日記

今朝のひらめき
「言語化するのをやめてみる」


朝、目覚めた時にふと思いついた。


今日は土曜日で、夫も今朝から出張で明日まで帰ってこない。
つまり昼食も夕食も適当でOKな日。(笑)



ということで、
早速やってみた!



すぐに気が付くのは、私って、ほぼぜーんぶ言葉で考えてるんだなぁということ。



例えば、お散歩で外に出たとき。

あぁ、木漏れ日が気持ちいいなぁ。
木々の葉が風に揺れているのを見て、わぁ綺麗だなぁ。
風が気持ちいいなぁ。
今日は暖かくて心地いいなぁ。



これらは、もちろん感覚も伴ってるけど、その感覚を言葉にして頭の中で呟いている。

この「言語化してる作業」を、やめてみた。

ただ感覚のみを感じるようにする。



言語化していることに気付いたらすぐに、
ふ~、ほぁ~、ほわ~
という感じで、首から下の体が感じている感覚のみに変換。

そんな感じで1日過ごしてみた。



これ、すっごく不思議でパワフルさを感じます。

なんだろう…

「言語化をしない」をすると、
強制的に体の感覚のみに意識を降ろされる感じになる。


もう意識は頭ではなく、体。
首から下に意識が強制的にスッと下がるのです。




でね、これを1日中やっていたら、急に変な感覚が出てきた。


何か大きなものを手放すこの感じ…
怖い。
私がなくなりそうで、怖い。



という恐れの感覚が、薄っすらと一瞬出てきた。



で、その時に思った。

ん??
私がなくなる?
その「私」ってなんだ?
思考が私だと思ってる?
感覚は私じゃないってこと?





思考は「ほんとうの私」じゃない。


きっと私が今までの人生で、思考によって自分が成り立っていると無意識下で思っていたその古い観念が、思考を手放すことに一瞬恐れを抱いたのだろう。



でも、手放せる。と思った。

だって、体の感覚だけに意識を向けるって、すっごく心地いい。
すっごく至福感が溢れてくる。

だからきっと大丈夫だ。




気を抜くと、またすぐに言語化して、思考が始まってしまったりする。

特に、看板やポスターやスーパーで流れる歌とか。
もう、目(耳)に入るとすぐ意識が体から頭に引っ張られてしまう。



日常の全ての時間を言語化しない方がいいというわけではないけど、
ただ実験として今日1日やってみて、これはとても良い気付きを得られた。



なるべく体の感覚に意識を降ろして、心地いい感覚をできる限り長く保てるようにしたい♡



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