朝起きて、目を開けたら、世界が映っていた。
「わたし」は、見ようとしていないのに、そのまんまに、世界が映っていた。
朝ご飯に、食パンを1枚焼いて食べた。
淹れたてのコーヒーを飲んだ。
「わたし」がしようとする前に、トースターにパンを乗せ、コーヒーを沸かしていた。
「行ってきます!」
そう言って玄関を開けて歩き出した。
右足と左足を、交互にリズムよく前に出しながら、動いていた。
自分が前に進んでいるのか、道路がこちらに迫ってきているのか、どちらが本当なのか、わからなかった。
「わたし」が足を動かそうと思う前に、もう既に、動くということが起こっていた。
景色は、その景色そのまんまに、「わたし」の中を流れていた。
空には雲が浮かんでいた。
あ、あの雲、うさぎみたい。
両耳がピンと立ってる、かわいい。
息子に見せたら喜ぶかな。写真とろうかな。
ゴソゴソとスマホを探す。
そこにも、「わたし」はいなかった。
ただ思考が起きていただけだった。
「わたし」は、ぜんぶ自分が考えて、行動してると思ってた。
⋯⋯どうやら、違うようだ。
確かめようと、何度も何度も、よーく見てみた。
でも、どうやっても、やっぱり、「わたし」は何にもしてなかった。
色々考えてる風に⋯⋯
自分で動いてる風に⋯⋯
そうやって、活動が起きてから後付けして、くっつけてただけだった。
この、「わたし」無しで自動的に起こっている様は、無意識で行っている、ということなのだろうか。
でも、「無意識」という、それも、いつかどこかで聞いた知識や記憶、イメージの中のものだ。
それは、たしかにある事実、じゃない。
体を触ると、「わたし」がいる。
ように思う。
鏡を見ると、「わたし」がいる。
ように思う。
当たり前に、そうだと、思う。
でも。
それもよーく見ていくと、何かがおかしいのだ。
体の部位を一つずつ見ていくとする。
足が、目に映る。
手が、目に映る。
おなかが、目に映る。
ふむふむ。
顔は、目に、映らない⋯⋯
顔って、自分じゃ見えないもんな⋯⋯
んん???
顔を触ると、
「鼻」というものらしき骨の、硬い感触がある。
「頬」というらしき部分の、柔らかい感触がある。
でも、それって、記憶、だよね⋯⋯?
そうだろうと、(信じて疑わずに)思ってるだけだよね?
いま、ここにある、たしかな事実、じゃない。
顔があると思っていた場所には
世界がそのまま映っていて、透明で、空っぽ。
それしか、ない⋯⋯
そうか。
体って、記憶の集合体だったのか⋯⋯!!!
鏡に映せば見える?
いや、それもまた、たしかな事実、じゃないよね。
鏡には、それがそのまま映る、という(信じて疑わない)知識、があるだけだ。
???
???
「わたし」って、誰???
「わたし」なんて、いなかったんだ。錯覚だったんだ。
「わたし」なしでも、その活動は、行われているではないか。
「わたし」なしでも、世界は、完璧に、そのまんまに、現れているではないか。
「わたし」、何もしてなかったんだ⋯⋯
「わたし」が、スーッと、透明になったとき。
命だった。
大きな大きな命が、あるだけだった。
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