「頭の中のおしゃべり」が静かになってくると、最初の頃は、様々な感情が登場してきます。
今までの嫌な記憶、トラウマ、見たくない過去の傷、ネガティブな感情が突然現れてきたりします。
皆さんはこんな時って、どうされているでしょうか?♡
その感情に浸り切る。
なくなるまで感じきる。
ヒーリングや解放セラピー的なものを受ける。
インナーチャイルドを癒やすワークをする。
お酒を飲んで、忘れる。
考えないように、忙しくして気をそらす。
気分がよくなることに切り替える。
⋯⋯
色々ありますよね!
スピ歴長めの私。
私の場合、余計な知識が、実は邪魔していたんじゃないだろうか⋯⋯
って気づいたんです。
私ね、
嫌な感情は深く感じきらないと浄化されない。
インナーチャイルドは癒やしたほうがいい。
って思ってたんです。
ありのままの感情を認めて、受け入れて、ゆるさないといけないのだ!
ってな感じで。
(いやもちろん、そういう段階とか場合とか、人それぞれに必要な時もあるのだとは思います。)
私はどちらかと言うと、感情大好き派(?)だったので⋯⋯
嫌な感情が出てきたら、真正面から
「よっしゃ感じたるで!」
と食い気味に、真正面から感情を全身で浴びにいっていました。
嫌な感情は感じ切らないといけない。
インナーチャイルドは癒やしてあげなきゃ。
だから、苦しくて目を背けたいけど、私は逃げないぞ!
そんな風に思ってたんです。
なんですが…
一つだけ、引っかかることがあったんですよね。
それは、「感じ切る」とか「癒やし切る」の、終わりが見えなかったこと。
こじらせ恋愛時期なんて、1年もずっとネガティブ感情を全身全霊で感じまくって浸りきっていたし。
幼少期の辛い記憶も、浮上してくる度に何度も「うんうん、辛かったね。頑張ったね。」と、あの頃の自分を何回抱きしめて、何回癒やしに行ったかわからない。
え、まだ癒やし切れてない?
もっと感じ切れってこと?
⋯⋯これって、終わりはあるのか!?
って、思ってきてたんですよね。
つまりまぁ、飽きてきたんです。笑
あと、まぁまぁしんどいし。
時間かかるし、消耗するし、疲れるのよ。
あと、言いにくいけど、ちょっとさ、暗くない?
なんか重ためだよね。
もっと可愛く爽やかに、楽しくいきたいんだよな〜。
一つどころじゃなかったみたいです。
(*ノω・*)
でもこれって、何か探求しがいのある面白いことが潜んでそうな気がしますよね♡
そこで、あるネガティブな感情が出てきた時に、よーく見てみたんです。
ある時、
「ん? この感情、前にも似たやつ出てきたぞ……」
というものがありました。
その感情に引きづられて、頭の中に流れる思考や映像(昔の記憶)も、前と同じものでした。
これもまだ、感じ切れてなかったのか……
またこの感情に潜り込まなきゃいけないのか、あ~気が重いなぁ。
とか思ってた時。
気づいたんです。
感情は、思考から生まれていた!
と。
ふと蘇ってきた、小さい頃の記憶。
「怒られたら、恥ずかしいって感情を持たなきゃいけないんだ。」
「間違えたら、罪悪感を持たなきゃいけないんだ。」
「悪いことをする人には、怒らなきゃいけないんだ。」
「いい子でいれば、褒められる(期待通りに結果を出さないと、価値がない)んだ。」
「別れとは、悲しいことなんだ。」
そんな風に、自分で、感情を決めていたことを思い出したんです。
そして、感情の前には何かしらの判断(決めつけ)がありました。
例えば
「怒る」の前には⋯⋯
常識を守らないのは悪いこと、時間にルーズなのは良くない、仕事ができないと価値がない、など。
「悲しい」の前には⋯⋯
もう二度と会えない、足りない、分かってもらえない、など。
そんな判断が、感情よりも0.01秒くらい前にあったんです。
判断をしている、つまり「思考」が先にあって、そこから感情が発生していたんです。
まさか⋯⋯でした。
感情を、自分で決めてたなんて。
そういえば、当たり前だけど、感情って、人によって全く違いますよね。
ニコッと笑顔を向けられて、「わぁ嬉しい♡」と喜ぶ人、「小バカにされた?」と怒る人、何も感じない人もいる。
先日、家族で車に乗って出かけていた時の話。
突然目の前に車が割り込んできて、急ブレーキをかけました。
私は「怖い!」と恐怖を感じた。
夫は「危ないだろ!」と怒りを感じた。
チャイルドシートに座る息子は、ただただびっくりしていました。
このように、同じ出来事が起こっても、感情は人それぞれに違います。
それは、その人それぞれの思考が先にあってそこから感情が生まれているから。
だったのか……(@_@)
(2歳の息子は、思考での判断がまだないので、ただびっくりすることしか起きなかった、ということだったんですね。)
この気づきは、どえらい衝撃でした。
感情は、味わってなんぼで、しっかり感じないで目を背けるなんて現実逃避(!)になる。
なんて思ってたんです、私。
何十年も経って、地層のように積み重なって見えなくなっていたけど、まるで自動で反応が起こるように、自分自身で、感情をオート設定にしてたんだ!
ってことが分かったんです。
それに気づいたとき、不思議と、その時に湧き上がっていた感情はスーッと、消えてなくなっていました。
感情は果実で、その果実は、思考という木から生まれていたのです。
一つの果実をもぎ取ったとしても、それを生んでいる木の存在に気づかない限り、果実は実り続けるんです。
それから、重たい感情が出てきたら、その元となる思考に気づくことで、サラサラと、その感情はその場で落ちていくことが分かりました。
辛かった記憶もインナーチャイルドも、過去の思い出。
つまりは、ただの思考だった。
感情をちゃんと底の底まで感じ切らないと
「人間らしくない」
「私じゃなくなっちゃうんじゃないか」
という、なんかそういう思い込みもありました。
でも、やっぱり思考って、今ここにはない、実体のないもの。
ここにある、たしかな事実、では、ないのだ。
なーんだ。
辛い感情をわざわざ感じに行って(無意識に浴びに行って)、重たい気分になる必要なんて、ないんだ!
「涙の数だけ人に優しくなれるんだから、もっと強くならなくちゃ。」
なんて言ってた薄暗い「わたし」。
バイバーイ♡
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