100年前、私たちはどこにいただろう?
100年後、私たちはどこにいるだろう?
今、人間として生きているこの姿は、仮の姿かもしれない。
って思ったこと、ありませんか?
『つまづいたっていいじゃない、にんげんだもの。』
相田みつをさんの名言。
(大好きです、喧嘩は売ってません♡)
ただ今日、ふと、思ったことがある。
つまづいたと思ったその人。
ほんとうはそんな人、いなかったとしたら⋯⋯
ほんとうの私は、つまづいてもいないし、転んでもいないし、傷つくこともない。
としたら⋯⋯
100年後の私は、もうとっくに寿命を迎えて、人間としては生きていない。
その時の私が、持っているものって、なんだろう?
お金はもちろん持ってない。
車も家もない。
からだもない。手足もない。
口もないから声も無い。
思考、感情、知識、言葉、感覚、そんなのも、ない。
時計もないから時間もない。
ん?
「私」という概念すら、ないかも。
100年後も私が持っているもの。
それは⋯⋯
何も、ない。
「私」すらもないのだから。
ただ、意識だけが残るのだろう。
ちょっと、わけがわからなくなってきそうだ⋯⋯
とにかく、
私たちのほんとうの姿は、人間じゃない。
(だからといって人間の今を蔑ろにするということではなく、今しかない人間の姿の自分を、ありったけの愛を込めて生きていたいと思う。)
思考と感情を超えた次元にいる、
ほんとうの自分の姿を、もっとクリアにしてみたい。
そう、胸が熱くなったのです。
とりとめのない文章だけれど、
どこかの誰かに、何かが響くといいな⋯⋯
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